縄文時代と弥生時代
10/8〜10/16まで、阿佐ヶ谷のギャラリー煌翔での「109の土偶展」に作品を出展している。
「109の土偶展」はそのタイトル通り、109体の土偶作品を展示する展示会。
おれは「洒ポーチ土偶」「縄文土器一発」ほか、計11体の土偶作品を展示中だ。
土偶というテーマでよくこれだけ多様な作品が集まったな! という展示で、見ごたえがあるので、興味がある人は足を運んでほしい。
おれの在廊中は「洒ポーチ土偶」を試着しての撮影、「縄文土器一発」のプレイができるようにしている。ありがたいことに、今のところ皆さんには喜んでいただいている。
おれは芸術家ではないので、作品に特にメッセージ性はないし、これと言って目的もない。ただ作りたいものを作っているのだが、作品に触れたときに驚いたり、笑ったり、そういう何かしらの体験をしてもらいたいのだ。
さて、今日10/9は「土偶の日」。
阿佐ヶ谷での展示会待機中に「土偶マイム」を初めて見た。
白鳥兄弟さん(兄弟という名前だけどひとり)による、土偶の形態模写。笑えるし勉強になるというとても素敵なパフォーマンスだった。
展示会のあとは荻窪六次元でトークショー「3にんのジョウモンジン」を聞く。
出演者である土偶女子・誉田亜紀子さんの著書「はじめての土偶」は、おれが土偶を作るきっかけになった本。一度お会いしてみたいと思っていた方だ。
トークショーの内容は、土偶女子誉田さんに土器も好きになってもらいたい、ヤミラさん(お菓子考古学者)弥生や古墳に浮気しすぎじゃないの問題、望月さん(縄文ZINE編集長)弥生のことディスりすぎ問題……など。
和気あいあいとしながらも、専門知識をベースにしたトークでとても楽しかった。
特に、なぜかトークのメインテーマになっていた(縄文ではなく)弥生時代に対する見方はだいぶ変わったように思う。
なんとなく、縄文時代が終わって弥生時代が始まり、弥生時代が終わって古墳時代が始まる……というふうにきっぱり区切りがあるように考えていたが、それは当然現代の勝手な分類で、実際にはそんな区切りはなかったわけだ。
いや当然なんだけど、改めてはっとした。
稲作が始まった弥生時代は、狩猟採集中心の縄文時代より安定していたイメージだったけど、どちらかというと弥生時代というのは、狩猟採集と栽培で安定していた縄文生活から、古墳時代的な中央集権化へ向かう過渡期で、むしろ激動の時代だったのかもしれないな、と今日のトークショーを聞いて思った。
おれは専門家ではないので解釈は間違っているかもしれないが。
質疑応答で海外の土偶について質問していた方がいた。
それで思ったのは、むしろ呪術的な用途(だと考えられている)土偶というのは、形はともかく存在としては世界でも一般的で、古墳への副葬品である埴輪のほうが世界的に見ると特殊なのかもしれない。
いや同じ役割のものはあるとしても、独自の文化としてそれぞれ発展しているから同じものとはみなしにくいとか。
だからもっとプリミティブなものである土偶は海外にもあるけど埴輪はない、ということかな、と思った。これもなんとなくだ。
トークショー終了後、誉田さんとヤミラさんにご挨拶できたのも良かった。
お二人ともおれの「縄文土器一発」を知っていて下さった。
「洒ポーチ土偶」を作ったことがきっかけで、ベトナム在住でデイリーポータルZライターのネルソン君に、縄文ZINE編集長望月さんを紹介してもらって、今回の展示会に出ることになり、そのため(とイベント出品のため)作った「縄文土器一発」。
不思議と色々つながってくるものだな。