執念深い
割と執念深いというか、嫌なことは忘れないタイプだと思う。
天パだった少年時代、英語の授業中、英語で友達を紹介するっていう時に「He has very interesting hair.」って行ったY君のことは許していないし、去年、落語会で当日「今日おれ落語やらないっす」っていい出したあげく打ち上げで逆ギレしたあいつのことも許せそうにない。
何が許せないって向こうが悪いと思ってないことだ。
謝れば許してやるけど。
妄想商品化道場という企画に何度か応募している。
この企画が素晴らしくて、この企画が素晴らしいというブログ記事を書いたぐらいだ。
ここに書いていない素晴らしさに気づいた。
この企画、実は一般参加のほうが有利なのだ。
元々参加しているクリエイターにとってはこれは(おそらくギャラの発生している)仕事なわけで、仕事である以上ギャラとの兼ね合いで工数などを考えなくてはならない。
仕事として考えれば、実際に商品化されるかどうかわからない企画である以上、工数をそこまで割くわけにはいかないはず。
ところが一般参加からすればこれはコンテストなわけで、工数は自由に割けるわけだ。
ますますこの企画、一般参加者にとって美味しいぞ。
無茶な企画なのに続けていただけているのがありがたい。
ありがたいからこそ、以前この企画にクレームをつけた人がいて、それに腹を立てているのだ。
もうだいぶ前の話だけど、ほら執念深いからさ。
要は一般投票という形を取っている以上、一般参加者と参加クリエイターの間で拡散力など、票集めに有利不利が出るから、審査員式にルールを変えてくれ、というのがそのクレームをつけた人の主張だった。
あんまりにも表面しか見えてない。
そんな差などあって当然だし、そんな票集めの有利不利なんて誤差といえるほど、一般参加者が優遇されているのに。
しかもそのクレームつけていた人「今回初参加です」などと言いながら、結局投稿していないようだし。デザインに命かけてるんじゃなかったのかな。
昨今、声の大きい人のせいで萎縮しがちな風潮だ。
そんな、よく理解もしてない、ただの声の大きい人のせいで、こんな素晴らしい企画が中止になってしまったら、たくさんの機会が失われてしまうではないか。
要はおれだってまだ商品化されるチャンスがほしいよ、ということです。